月に1~2度ほど 和歌の教室が開かれていて
時々参加します。
万葉集・古事記 やまとの言葉の 言霊について
お話されるのを 聞くのです。
今でこそ
「精神世界」という 別枠の カテゴリーができているけれど
昔々のもともとの 日本は 自然に、
とてもスピリチュアルだったと感じることが多いです
そうであることが 当然の 流れ 自然だったからなのでしょうね~
毎回 タイムスリップとはこういうことをいうんだな~と
思うくらい 魂は その時代に飛んで行ってしまいます
さて、
4月10日からはまた水星のレトログレード
コミュニケーションミスのおこりやすい 時期がはじまります。
このところ (元々動物な私は)
早目に このレトロに からまられてるかのごとく ?!
この言葉の 能力の限界を感じることが多いです
和歌のお教室の井口先生 の教えに まったく共感!
『「言葉(ことは)」とは ことがら の はし(端) のこと
だから もともと 出来事の はしっこ(一部分)しか
伝えられないものなのです。だからことばというのです』
「琴(こと)」は ことがら そのものだから
全部が伝わる とも ・・・ お琴弾き幸喜感激!
ことばで伝えるのは がんばっても はしっこしか
つたわらないんだから 丁寧に 魂をこめて(言霊)
心して 使うことが 大切です。 <と、また自分に言う>
人はもともと 相手の言葉から
自分の 聞きたいことだけを 選んでいるし
受け取る側の 事情・ 状態によって
意味までも 変わっていく ような。
自分の口から出たら、一人歩きしていってしまうのです。
それもこれも
会話する同士の 信頼関係さえきちんとしていれば
意見の食い違いや 行き違いは
学びーとして 前にすすめるのだけどね。
行間のエナジーを 言葉の翻訳に使いながら
信頼関係を 深めていけたらな~
どうしても通じない時もある・・・
こういうときはやはり・・・・